方言チャートやったら、田舎者ルサンチマンに火がついた話。
おつかれさまです。monk13です。
以下、なんの有益性もない無構成の駄文です。
大変、申し訳ございません。
ひょんなことから、「出身地鑑定!! 方言チャート」をやる機会がありました。
単純に、その感想です。
「出身地鑑定!! 方言チャート」とは。
東京女子大のあるゼミが提供しているWEBサービス。
方言にかかわる質問に答えていくと、
そこから分析して自分の出身地をいい当ててくれる優れもの。
結構な的中率らしいです。
わたし個人の鑑定結果は間違いでしたが、大変楽しめました。
自分に馴染みあるボキャブラリーに心温まる一方で、
全く知らない新鮮な言葉も知ることができ、素敵なゲームだなぁと思いました。
ちなみ結果は京都市内と表示されました。
実際のところ私は滋賀県の某地域の出身で、18歳までそこで過ごしています。
京都までは地理的には結構離れており、電車で1.5時間ほどかかります。
方言の分布は、通常地続きに近いほどその関連性が強くなり、類似性が高まるもの
と私は推測していましたが、今回の結果はそれには準じないものでした。
では、今回のように飛び地のような形式で類似する方言が存在している背景は何か。
改めて考えたとき、そこには「都市と郊外」の構造があると私は気付きました。
私の地元は悲劇的に田舎なため、産業なんぞ農業以外はありません。
長男以外は、遠方の京都・大阪に丁稚奉公、出稼ぎにでるケースが
戦前から多かったそうです。
少年期から都市で働いた後、錦を飾るか飾らないかは別ととして、
故郷に帰ってきた人たちが離れた土地の方言を話していた。
その結果が、現在の飛び地形式の方言分布を生み出したのでしょう。
労働資源として、コロニアルな扱いを都市部から受けている上に、
方言という言語まで都市に従属化していたかと思うと、
奴隷心が震えてルサンチマンがひさしぶりに焚きつけられました。
本来、自分の拠り所となる土着の言語である方言。
言語が文化を形成し、人格を形成するという思想の持ち主のわたし。
これがいまや、借り物のツギハギでしかないのだと思えてなりません。
かねてから、地元愛が薄かった私としては、
このツギハギ感が故郷への薄愛の原因なのではと邪推しています。
いやなにがどうって、この「出身地鑑定!! 方言チャート」おもしろいので
ぜひお試しあれ。(ハンドルの切り方が、急。)