monk13’s blog

個人的な雑記帳です。うそ書いてたら指摘してくださいませ。

「Nas - I Can」とラップとワタシ。

お疲れ様です。

きもちはb-boy。monk13です。


都合が合えば、聴いてみてくださいませ。
良い曲なんです。


Nas - I Can - YouTube

 

 

耳馴染みのよいトラック

この曲は「エリーゼのために」を下敷きにしている。
つまり、ザ・ヴィーナスの名曲「キッスは目にして!」の兄弟曲と言っても、

過言ではない。


※もし、万が一、金田一、「キッスは目にして!」について

ご存知ないかたは後述する補足情報をご参照あれ。迷宮入りする前に。


サビである「キッスは目にして♪」の部分の「エリーゼのために」に対応する箇所が

この曲ではくりかえし使われている。

hiphopのビートにのっていてるのだが、あまり違和感がない。

さすが稀代の天才作曲家ベートーベンさんの作品、オールマイティである。

至極まっとうな歌詞

Nasっち、すげーいいこと言ってんじゃん。

しかも上手いこと。そんな感じ。


歌詞の全文は以下サイトにて、ご確認くださいませ。

www.azlyrics.com

ザックリ言えば、

何か目標を持って、それ目指して実践あるのみ。

クスリなんかやらず、読み書きを学びな。

的な。めちゃ説教くさい内容。
なんだけど

・ストーリーテリングの上手さ

・難しすぎない単語での気持ちいいフロー

のおかげで、スルリと腹落ちする。それがこの曲の凄いとこ。

例えば、

You can be anything in the world, in God we trust
 An architect, doctor, maybe an actress
 But nothing comes easy it takes muchpractice

 

建築家、医者、女優。なんだってこの世のものになら、みんななれる。

自分の運命を信じるんだ。

でも実現することは簡単じゃない。たくさん実行しなきゃいけないことがある。

 

If the truth is told, the youth can grow
Then learn to survive until they gain control
Nobody says you have to be gangstas, hoes
Read more learn more, change the globe

 

 

真実を知れば、若者は成長し、自律して生きていくことができる。

だれもギャングや娼婦になれなんて言わない。

本をよみ、よく学び、世界をかれるんだ。


お馴染みの言葉が並んでるのに、含蓄があり刺さる。

難しすぎないワーディングって実は凄く難しいのに。

 

REMIXがよい

そもそもこの曲を見つけたのは、

cee-rooというアーティストがリミックスしてたから。


I Can - Nas ( Cee Roo remix) - YouTube

この人がまた他にもいいリミックスをネットに上げててくれて。

感謝感激あまのひろゆき。こちらも是非ご賞味あれ。

補足情報

いちお原曲である“エリーゼのために”。

きれーなおねーちゃんが弾いてるやつ。


Beethoven "Für Elise" Valentina Lisitsa Seoul ...

 

そして兄弟曲である「キッスは目にして!」。

昭和のテイストがくすぐったくも楽しい。


ザ・ヴィーナス - キッスは目にして! - YouTube

 

あとこれも“エリーゼのために”関連。オケがかっこいい。


ザ・ピーナッツ「情熱の花」 - YouTube

 

あとがき

※以下、冗長で偏向した言葉づかいの文が続きます。メンゴ。

 

おうおうにしてラッパーのPVや歌詞って、

ギャングスターを賛美するものが目に付きやすい(偏見に満ちた主観です)。

基本的にラップのメインストリームがかねてから好きになれなかったのだが、

こういう品質のものは好感がすごくもてる。

 

もちろん私はラップ自体は好きだ。

ラップだから聴かない。とか、ギャングスターモノは聴かない。とかではない。

むしろ聴く。2000年よか前がほとんどだけど。

ただ、ラップの曲でみんなに認められて然るべきものはたくさんあるのに、

どうしてもギャングスターイメージが先行して

取っ付きにくいものになっている側面がある。


なのでギャングスター系のワルなイメージでラップをパッケージすることを、

供給する側も受け取る側もやめたほうがいいのでは。と思う。

アーティストで固定するのもナンセンスだけど、

やっぱデラソウルとかスチャダラパー的な楽曲が

ラップのイメージの中心にあってほしい。

もちろん、それが真に中心であるということではなく

中心にあったほうがイメージコントロールにはちょうどいい。

変に誤解されないで済むと意味でである。


ラップっていう表現方法をまっとうにみんなに評価してもらいたい。

というのが、ただの小市民ケンhiphopかぶれの意見である。

 

天使にラブソング2のワンシーンに高校の屋上にて、

生徒たちがラップバトルしているシーンがある。

あれがラップの楽しみ方、表現方法としてのあり方の解りやすい一例だと

個人的には思う。


SISTER ACT 2 m. Whoopi Goldberg - YouTube


初めて見たときは何が起きているのか理解できなかったが、

後に見返したときに衝撃を受けた。

端的に言えば、「どっちが上手いこと言えるか。を即興で競い合う。」

これは全然日本人に馴染みある戯びだ。

雑談、フリートークでうまく相槌をいれる(ボケたり、突っ込んだり)、

エピソードトークを綺麗にするといった試みをしてるわけで。

かつて平安の世には、

31字の制約の中でいかに上手いこと言うかが重要視されてたわけで。

これらと類似する価値観のコミュニケーションのあり方が、ラップなわけで。

別にコンテンツ(話の中身)が全てじゃないわけで。

ゲットーの住人のココロの叫びやギャングスターの自慢話に

表現ツールとしてのラップの価値は紐付いてないはずで。

もちろん内容としてはアリなのだが。

それがラップ必要十分って認識は違う気がする。

コミュニケーションのツールとして、

ラップには価値があるってことをみんな知ったら、

いいのになーと思ふのであーる。(見鬼くん風fromGS美神)

 

無駄にラップへの参入障壁をあげてしまって、

せっかくのいいモンが広まりそびれている気がして、勿体無いよ。

※「全然」の用法について、私はオールオッケー派です。

うるせぇ。伝わりゃいいんだよ。というぶっきら棒な人間なので。

 

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pj.ninjal.ac.jp

 

それではまた。